『ビクトール・フランクル絶望の果てに光がある』 著者:諸富 祥彦(ワニ文庫)を何年振りかに読み返しています。
やっぱりそうだなぁと思う部分を引用しながらシェアさせて頂きます。
「幸福になりたい」「幸せでいたい」という願いは一見疑い要もなく正しく、誰からも侵害されるべきではない正当な願いです。
しかし、幸せを望みそれを求めすぎてしまうと、結局どこまで行ってもそれを手に入れることができないという結果をもらたしてしまいます。
つまり、「永遠の欲求不満状態」に置かれてしまうのです。
それでは、どうすればいいのでしょう?!
「幸せになろう」というこだわりを捨てて、自分に与えられている成すべきこと、実現すべき使命に全力で取り組むこと。
そうしているうちに、しかるべき時が来れば、人は自ずと幸せを手に入れることができる。
幸せは、求めれば求めるほど逃げていく
快楽も、求めれば求めるほど逃げていく
幸せでないと感じているのならば、今の苦悩が問題なのではなく、その苦悩が自分に与えられる理由がわからないことが、もっとも辛いことです。
たとえば、仕事でいうと、忙しくても「この仕事は重要だ」と感じられるものだと、忙しくても耐えられます。逆に、「この仕事は無意味だ」と感じていると、忙しさがストレスとなります。
彼の言葉でとても感銘の受けたのは、
人間が人生の意味は何かと問う前に、人生の方が人間に問いを発してきている。だから人間は、本当は生きる意味を問い求める必要はないのである。人間は、人生から問われている存在である。 人間は生きる意味を求めて問いを発するのではなく、人生からの問いに答えなくてはならない。そして、その答えは人生からの具体的な問いかけに対する具体的な答えでなくてはならない。『医師による魂の癒し』
